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高森明勅
2010.10.25 15:05

防人歌に見る「公」と「私」

古代日本の国防の第一線にたった防人たち。彼らの和歌が多く『万葉集』に収められていることは、よく知られているだろう。

その中でも有名なのはーー

「今日よりは かへりみなくて 大君の 醜(しこ)の御盾(みたて)と 出で立つ我れは」という歌だ。

直訳的には、今日からは、父母も妻子も全ての私的な事情は顧みないで、天皇陛下の精強な盾として出立することだ、私はーといった意味になる。

火長(かちょう、兵士10人の長)だった今奉部与曽布(いままつりべのよそう)の作。

ここに「かへりみなくて」とあることについて、日本浪曼派の文人、保田與重郎が「顧みなくてといふことは、なほ何かを顧みている状態」と喝破されたのは重要だ。

顧みているからこそ「かへりみなくて」という言挙げが敢えてなされる必要があった。

つまり、この歌は「私」を通過して「公」に至ろうとする、与曽布の哀しい迄に勇敢な決意を映していると受け取らなくてはならない。

ただ勇ましいだけの和歌ではなかった。

防人たちの歌には、むしろ私情を包み隠しなく赤裸々に詠んだ歌が多い。防人に召されて故郷を出発する時、両親が頭を撫でて「達者で」と声を掛けてくれた、その言葉がいつまでも忘れられない、と歌った作などはその典型だ。

女々しいと言えば、確かにその通りかもしれない。

だが、父母や妻子を思う心情の切実さは、脆く儚い弱さではなく、真の強さに繋がり得る。

こうした防人歌を万葉集に夥しく収めた編者は、その間の消息をしかと見通していたはずだ。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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